戦争や災害のニュースなんかを見ると、『人間にとって幸せとは何なのだろうか』なんて事を考える。
お金があれば戦争はしないのだろうかとも思う反面で「じゃあ、いくらあれば足りるの?」とも思う。

世の中を見ると、漠然と「お金持ちになりたい」という夢(?)を持っている人が多いが、その具体的な金額はいくらなのだろうか?

一生かかっても使いきれないほどのお金を手に入れたとして、それは幸せなのだろうかと思うのだ。

例えば、毎日高級寿司を食べれたとしたら、美味しいとも感じない気がする。

たまに食べるから『美味しい』のであって、「今日も大間産の本マグロだよ!」と言われた所で、感動や喜びも薄れていくだろう(汗)。

オレは週末だけ外に呑みに出る事を楽しみにしていて、冷たい酒が呑める様に水筒を持参して行っているが、お金持ちなら水筒なんて邪魔なだけ。温くなったら途中でも捨てて、順次冷たいものを買うのかも知れない。

キャンプの様に外で食べる物が美味しいのは、『こんな環境で』というプラスαが何よりのスパイスになっている訳で、エアコンの効いた室内で寝た方が快適である事は言うまでもない。

それでも『楽しい=幸せ』と感じるのは、『不便』という環境を知った上で楽しみを見つけられるからであって、『楽しい=幸せ』と感じられる感性こそが、『人生の楽しみ方』のヒントの様に思う。

それはお金じゃなくて、限られた環境の中でどう楽しめるか? という感性が重要だし、自分の身の丈を知る事。

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人を羨む劣等感で自分を追い込まず、自分の中で楽しみを見つけて幸せを感じられるヤツこそ凄いと思うし、お手本の様に見習うべき生き方だと思う。少なくても、お金持ちが重要ではないのだ。

それを教えるのは教育だし、安定した職業に就く為に学業に励む事だけではない。
どんな環境に置かれても前向きに生きれる事、自分なりの楽しみ方を見つけられる生き方を教える事こそ重要に感じる。

『お金』は物々交換する為の道具でしかなく、いくらあっても足りないでは困るし、道具に振り回されて自分を窮屈にさせてしまっては元も子もない。

SNSの普及で、高級マンションや高級外車や高級料理やと目にする事が珍しくなくなったが、それを比べた所で自分に当てはまるとは限らないし、手に入れる事イコールが幸福ではない。

オレは少なくても海外なんて行きたくないし、この日本が大好きだ。
マジで海外なんてタダでも行かないし、それは他の事でも同じ。
銀座の高級寿司がタダと言われても別にいい、行かない。
遠いし(厳密には遠くないけど:汗)肩苦しいし面倒臭い。
憧れも全くないのでマジで何とも思わないし、馴染みの赤ちょうちんの方が落ち着くし楽しい(笑)。
ヒガミでも何でもなくホントにそう思うし、でもそういう馬鹿の方が楽しく生きられる気がする。

今度また高知に行くのだが、家計を任せているヨメさんに「大丈夫か? 今年は家賃の更新もバイクの車検もあるぞ?」と聞いても「大丈夫! 行こう」という(汗)。
美味いモノを食う目的もあるが、もはや向こうで暮らす人たちに会いにいく旅でもあって、滅多に行けない場所だからこそ楽しみでもあり、幸せを感じるのだと思う。

その為に仕事を頑張ったり何かを節約したりして目標に進む訳で、それも含めた人生の楽しみ方こそが重要に感じるし、子供の頃から率先的に教育するべきだと思うのである。

全部に当てはまるとは言わないが、お金持ちの人だって他人から羨ましがられる事に満足感を得ている部分もあるだろう。誰も羨む事なく見向きもされなければ、億万長者であろうと『ただそれだけ』でしかない。別にただ「スゲェじゃん」なだけで、これも付き合いで言っている様なもの。見向きもされなければ億万長者の価値も変わり、お金に対する執着自体が変わる様にも思う。
自分の身の丈に合った楽しみ方を熟知しているのであれば、周りの影響には流されないし、例えマイナスの環境に追い込まれても強く耐えられるはずだと思う。

それを教育して広げていけば戦争なんて起きない気がするし、もっと気が楽に皆んながハッピーに生きられる気がする。

馬鹿だけど重要な事はそこじゃないと気づける事、馬鹿であれ。
ささいな事で楽しめるオメデタイ感性が何より重要だし、まさに『人生楽しんだもの勝ち』だと思うのである(笑)。

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