オレも昔はギャンブルにハマッていた時期があって、競馬や競輪こそやった事は無いものの、パチンコやパチスロは飽きるほどのめり込んだ(汗)。

中学でパチンコにハマり高校の時はパチスロにハマッて、正月の元旦から友だちとパチンコ屋に行った時は、一生止められないんじゃないかと思ったぐらいだが、いつの間にかキッパリ止めて、今は一切行かなくなった(汗)。

↑ヨメさんに『麦わらのルフィ』って言われた(汗)。

知り合いの中には今だにギャンブルにハマッている人も居て、場外馬券場の近くで店を出してる知り合いの店主は、頻繁に馬券を買いに行っている(汗)。

知り合いが多い高知なんかに行っても、皆んな朝から競輪だかに夢中になってチェックしている姿を見るし、ほとんどがオレよりも歳上の人たちなので、熱中している姿に感心すらしてしまう(苦笑)。

オレがキッパリと止められた理由は、過去として振り返った時に『思い出に何も残らないから』で、儲かって勝った所でその利益なんて残らないし、スカンピンになったら尚更である(汗)。

スポンサーリンク

同じ時間を過ごす上で「(オレは何をやってるんだろう…)」と気づいた時に、無性に馬鹿馬鹿しく思えた事が理由なのだが、先日1人のギャンブラーが過去や思い出に全く感心を持たない話を聞いて驚いた。

オレと共通の友人がいるその人は、友人を病気で亡くしている。オレも知っている人だったので思い出して偲(しの)ぶ事もあるのだが、その知り合いはオレよりも遥かに付き合いが長かったにも関わらず、亡くなってしまえばいくら思い出しても戻ってくる事はないし、湿ったれるだけだから考えないのだと言う。

オレはそんな割り切り方(?)というか考え方を聞いて驚きながらも、別の事にも気がついた。

過去に捉われない生き方は、思い出を美化するどころか考えもしない訳で、ギャンブルでその日に『勝ったか』『負けたか』しかない。その日が終われば引きずる事もないし、一時の『勝った』という感情、『喜び』の為だけに勝負をしているのだ。

「勿体ないじゃん」「無駄じゃん」なんてオレの様な発想は愚かでもあり、ある種究極に1日1日を割り切って生きているのである(笑)。

なかには全財産を賭けて一世一代の大勝負なんて人も居るのだろうが、大半の人は勝って得る大金よりも勝って得る『喜び』を求めているのだと思う。

心のどこかで「(そこまでして何が残るのよ…)」といった冷めた感覚で見ていたが、残るも何も、そのいっ時だけを考えて過去は全て消えてしまう事と同じなのである。

どちらが良いかなど測れないが、『好きに生きる』という点では共通している部分もある訳で、自分で気がつきながら、単純でもある意味『究極』というか、なかなか奥が深い生き方だと思うのであった(笑)。

スポンサーリンク