若い世代が仕事終わりのオフにまで、会社でお酒に付き合う『呑みにけーしょん』とやらが、敬遠されているらしい。

コロナでテレワークが進み、会社に出社する必要がなくなって、ますます快適だと見直されているというので、これからも減っていく付き合いなのだと思う。

オレも若い頃はそれこそ朝まで会社の人と呑みに行ったり、記憶がなくなるまで呑んだりしたものだが、それでも会社を辞める頃には行かなくなっていた。

昔、会社の酒好きな先輩が「酒を呑んでもショ◯ベンで出ちゃうだけだし、呑み屋でいくら使ってきたんだろう…その金を貯金してたら、楽々マイホームだって買えたと思う」と言っていたのを聞いて、まさにその通りだと思った。

オレはなまじ呑めるので、付き合おうと思えば電車が無くなっても朝まで呑んでいられたのだが、それこそ3軒目や4軒目になると、何を呑んでも同じ。不味くはないが特別美味しいとも感じない訳で、惰性で呑んでいた様なものだ。

そしてふと冷静になった時に「(もったいないな…)」と思う様になったのだ。

当然ながら予算は無限ではないので、1日に4件呑み歩くのなら、4日間に1回ずつ、4度呑みに行った方がいいじゃんという訳で、そこに気づき始めた頃から回数を減らし、違う形で呑みに行く方へシフトしていく事になる。

かたやブログで挙げている様に、ヨメさんとは毎週週末になると呑みに行くし、お店も同じ決まった店ばかり(汗)。

オレは別としても、ヨメさんがよく飽きないと不思議に思うぐらいなのだが、ヨメさんとの『呑みにけーしょん』は今も続いている。

ヨメさんこそ特に話す事もない、もったいないと思わなくもないのだが、特に不満もないどころか、2人で歩いて呑みに行くし、同じ店ばかりなのに週末が近づくと楽しみにしている。

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お酒が呑めない人にすれば、もったいない酒代ではあるのだが、ヨメさんと2人だけで呑みに行っても、お店の人に良くしてもらったりする事を感じる事も結構多く、この『人の心に触れ合う』という機会は、とても貴重でありがたいものだ。

よく通う居酒屋では、メニューに載せないオレだけが呑む酒を週末だけ入れてくれてたり、「魚が食べたい」というワガママにも付き合ってくれて、裏メニューで魚を頼める様になったが、それも週末だけ仕入れに行っていると言う。

ラーメン屋では、「ヨメさんと2人で分けやすい様に」と餃子を1個多い偶数で焼いてくれるし、この前は「途中で切れちゃったから」とレモンサワーを出してくれた(汗)。

先日高知に行った時にも、色んな人にご馳走になったが、これも酒が呑めればこそで、オレにとっての『呑みにけーしょん』なのだ。

人の心に触れて『ありがたい』と感謝する気持ちと喜びは、変え難いものだと思う。

そういった機会に触れる度に、自分がお酒を呑めて良かったと思うし、無駄ではない貴重な経験の1つとして、吸収されている様に感じる。

『付き合い』の呑みにけーしょんは、もうお腹いっぱいだが、人と人が関わる以上、言うほど簡単ではない奥の深さがあるので、全てを遮断するのではなく、良い部分にも目を向けて欲しいと思う。

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