エミーとマリーの資料に昔の写真を探していて、懐かしい写真が出てきた

1995年になっているので今から25年前という事になるし、今じゃツルッパゲのビッチの髪の毛も金髪でフサフサだ(笑)

オレが特に注目したのが後ろに貼ってあるポスターで、ツーリングの企画が書かれている(黒塗りした部分はオレたちのチーム名が書かれていたので一応消しておいた)

GWに1泊2日で伊豆半島を1周するツーリングを企画していたらしく、集合場所の地図まで書いてある(笑)

汚い手書きの文字はオレの筆跡なので、記憶こそ無いがみんなで企画してまとめた内容をカレンダーのウラにでも書いて、ボスの家に遊びに来たヤツみんなが解るように貼り出していたのだろう(当時は携帯を持ってないヤツも普通にいた)

元ヤンのロナウドが写真好きだったおかげでこんな日常の写真すら残されていて助かっているが、自分たちの昔の事ながらも過去の写真を見返してみると、「(楽しそうだな……)」と感じた(笑)

*そんなわけで解説も含めて過去にも紹介した『楽しそう』な写真の一部をご紹介*

↓毎年行われるUTCの集合場所。後ろが環八でそのまま東名入り口を目指せるからこの場所が選ばれていたが、早朝5時集合でもクルマが渋滞する場所だった(汗)

↓信号待ちの最中にロナウドがバイクから降りて撮った1コマ。ハーレーと国産の改造車が入り交じっていた頃

↓泊まれる場所(?)を見つけたばかりの頃。ここで寝れば何泊したって無料。この場所が発見された事により、『夏はココで!』が決まったのだ(笑)

↓峠の中での休憩の1コマ。自販機もトイレもないが、どうせ金も無いしトイレなんかその辺の茂みで充分。そんな考えだった時代(笑)

↓海の家は『冷たい飲み物』が飲める場所でもあった。ラッパ呑みはもちろんパフォーマンスだ(笑)

↓上にあるテントに戻れば道路で座って飲み食いするしかないのだから、そりゃ下の海の家はありがたい。狙ったワケじゃないが、日本版のヒッピーを地でやっていたのかも知れない(笑)

↓有名(?)な千昌夫氏との1カット。オレたちの方がよっぽどしっかりしているぐらい、ホントにタダの酔っ払いのオッちゃんだった

↓皆で金を出し合って全側面がネットで涼しいテント(実はタープ)を買って、テントやテーブル、鉄板なんかは全部海の家で翌年まで預かってくれる事になってから、イッキに快適さが増した。海の家とそこまでの信用を勝ち取った事が地味にスゴイし、4泊5日もすれば生活感もスゴイ(笑)

↓4泊5日にもなると先に帰らなければならない者もいれば、途中から参加する者もいる。いつか描くが、最終日はオレとロナウド2人だけの年もあった(笑)

↓野郎しかいないのにどういうテンションなのか理解不能なロッキー。道路の先は土砂崩れで閉鎖されている為にクルマが来る事はないが、山の中でオトコだけで、スッ裸で、ヒッピーというのはこういうものなのだろうか?(汗)

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↓新潟で何とか泊まれる場所を見つけて水道を発見したので風呂(?)に入っている1枚。過呼吸になりそうなぐらい冷たくても、風呂に入れるだけマシだった

↓これも新潟。缶詰と乾きモノ、酒ぐらいしかない。昔は今ほどコンビニとかもなかったので、泊まれる場所を確保する事が最優先で、食料は成り行きだった事も珍しくなかった

↓UTCに向かう途中、大雨に降られてガソリンスタンドに逃げ込んだ1コマ。やっぱりコンビニカッパだし、そりゃケツも濡れる(笑)

↓雨で顔が痛いからとドンキのビニールを巻くダニエル。ホントに馬鹿なヤツだ

↓東名の東京料金所を過ぎた直後。当時はETCなんか無いのでバイクはいちいち端に寄って停まらなければならない。今は便利になったが、この手間も嫌いじゃなかった

↓東名で足柄SA前で別れる分岐コースは、先で合流するのでどっちを選んでも同じなのだがいつも左コースを走る。当時SUキャブが主流だったオレたちは速度が遅く、のんびり走れるからである(笑)

↓手前のダニエルのエヴォが『ザ・ワイルドマン』で描いた『石の塗装』(汗)。遠慮せずに言うが、ダサイ

↓現地から軽装で買い出しに出る際にバイクを交換し、マイクのパンヘッドで走るロナウド。マイクはオイル漏れが酷くてエンジンオイルを3つ積んできた年もあった(汗)

↓「眺めの良い絶景コースがあるから」と来てみれば凄まじい霧で、景色どころか数メートル先すらも見えなかった(汗)

↓もはや笑うしかないレベルで、逆にインスタ映えである(笑)。これ以上の霧は今でも見た事がない

たまに「今でも皆で走ってるの?」なんて聞かれる事もあるが、文字通り酸いも甘いも、もうお腹いっぱいなのかも知れない(笑)

まぁ、今でも何人かで集まって一緒に走ったりもするが、オレが「別に1人でも全然平気」という理由は、散々仲間たちと走ってきたからも大きい。もはや『どっちでもいい領域』まで来たからなのだ

当時のオレたちはそれぞれ今の現代なんて解らないわけだが、こう振り返って見ると良い時代を過ごしてきたのだと思う

そして皆が最低限の人格者であった事も重要で、これもきっと大きい。年齢も仕事も暮らす場所もバラバラなのに、ここまで一緒に遊んで来れたのはある意味奇跡どころか異常なぐらいである(笑)

みんな無理してハーレー買って、どこに行くにも貧乏で金も無かったが、それでも文字通り底抜けに楽しかった(笑)

良い青春時代だったなんて思いつつ、更にこのまま進んだ何十年後には何が待っているのだろうか?と思う

今さらみんな変わらないのだから、きっと楽しい事ばかりな気がするし、最初の思い出の基礎ができている以上、今この一瞬も含めて増え続けていくのだろう

いつか「そういえばシゲちゃん、漫画に描いてたよね」なんて言われる時が、来るのかも知れない(笑)

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