最近になって、昔の映画が面白く感じて良く観る様になってから、逆に最近の新しい映画は殆ど観てない事に気づいた(こういう所がジジイになったのかも知れない:苦笑)。

今の方がCGやら映像技術は格段に進歩しているはずなのに、どうして観なくなったのかは解らないのだが、やはりつまらない映画に繰り返し当たってしまい、飽きてしまったのだと思う(汗)。

その一方で、昔に観た映画を懐かしんで観てみると、やっぱり良く出来ていて面白いのだ。

物語において、話の整合性を保つ為に必要なシーンなどは、脚本や構成になるのだが、「(なるほどねぇ…)」なんて感心すれば、逆にすごい有名な映画なのに雑でいい加減、視聴者も置き去りで、「(どうゆうコト?)」なんて思うものもある(汗)。

映画なんてスポンサーがついて莫大な制作費をかけているはずなのに、「(酷いハナシだなぁ…)」なんて思うし、自分が作った方がよっぽど良い作品が作れるとすら思ってしまう(苦笑)。

そんな中で気づいたのだが、カッコイイ俳優さんがいて、カッコイイ俳優さんである理由は『映画のシーンでカッコ良かったから』。カッコ良かったシーンの為には、フリとなる窮地に追い込まれたり、最愛の人と別れたり、酷い目に遭ったりした逆境(?)を乗り越えた果てという、『プラスのスパイス』が込められているケースが多い(笑)。

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『カッコイイシーン』は、俳優さん自身は観ていない。自分がどう使われるか? 俳優さんはあくまで指示(台本)どおり演じているだけで、自分がどの表情・どのポーズが実際に選ばれ・使われているか? は解らないし、それを決めるのは監督である。

もっと言うなれば、フリとなる『プラスのスパイス』も、観ているコッチが感情移入できているから、「(いいぞ頑張れ!)」「(よかったなぁ…)」「(カッコイイ⭐︎)」といった感情が沸く訳で、そういったシーンも俳優さん自身は、どういったカットで、どういった効果音を入れながら、どういったシーンの前後に入れられるのか等を含めて解らないのである。

オレは自分で漫画を描く場合、フリもキメとなるシーンも自分で判断して構成し、自分の描きたい様なアングル・セリフ・効果を加えて表現する。
1人で完結するからこそ出来る技術だが、映像・音楽・脚本・俳優という、パーツパーツをまとめる監督という役割は、やっぱり凄いのだ(汗)。

海外のメッチャカッコイイ俳優さんが居て、その俳優さんが出ている映画から好きになったりなんてケースは珍しくないのだろうが、俳優さん自身も、オレが観る側であると同じ様に、自分が『どう使われるか?』は知らないし、途中の確認こそ立ち会うのだろうが、完成するまでは解らない。
そのチョイスを重ねてまとめ、1つの作品に完成させる『監督』という仕事は、やっぱり凄いのである(笑)。

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