突然だが、幽霊を信じるだろうか?
オレは否定も肯定もしないが、「(まぁ、いてもおかしくないだろうな…)」という感覚である(笑)。

否定派の意見を聞けば、死んだものが『霊』になるなら、昆虫の幽霊は居ないのか?だし、戦争に巻き込まれて亡くなった人たちを含めれば、幽霊だらけになるという理屈も頷ける。

ただオレは、世に出回っている幽霊ネタが、全てウソとも思えない。

具体的に幽霊とは言わないものの、日本には昔から不思議な話がいくつも存在する。

オレが覚えている話を1つ挙げると、死期を悟ったお婆さんがお寺に行き、自分が入るお墓に挨拶をしていたらお坊さんに事情を聞かれ、もう自分が長くは生きられない事を話した。

今さら未練はないが、唯一心残りなのは1人息子に会えないまま旅立つ事だと言い、息子は今でいう数百キロも離れた土地で暮らしている為に、今の身体では会いに行けないし、当時は電話もない。

事情を聞いたお坊さんは天狗を呼ぶと、山ひとつ分もある大きな天狗が現れて、お坊さんからの頼みでお婆さんを抱え、ひとっ飛びで息子の暮らす土地まで連れていったというのだ。

お婆さんは無事に息子と再会を果たし、再び天狗に連れて帰ってきてもらい、もう思い残す事は無いと何度もお坊さんにお礼を言ったという。

よくある昔話かも知れないが、日本には古来から天狗や河童という謎の生き物がいると言われているし、それが全部デタラメとも思えない。

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科学では説明のつかない【何か】がまだある様な気がして、それは武将の首塚だったり、陰陽師の陰と陽だったりといった、不可思議な現象を起こしかねない話題として残っている。

個人的に考えるのは思想の【想い】から生まれる【エネルギー】で、島国である日本は古来から閉鎖した環境で暮らし、天災などから身を守る為に神様を祀り、讃えて生きてきた。

それは巨大な鳥居だったり、大変な大きさの石を並べた石畳だったりと、形として現世にも残っており、古くから人の想いが込められたまま、今も残っている国である。

幽霊を見た・見ないは、【視覚】という感覚で、同じ長さの線が違って見えるトリックと同じ。目を塞いだ状態で甘いものを食べても甘さを感じないのは、味覚と視覚が一致しないからで、あくまで【感覚】の問題でもある。

今、自分が見えているものが全てではないし、自分が見えないものを見える人がいてもおかしくない。むしろ、自分が見えているモノしか信じない方が、発想が偏っている気もする。

歴史がある土地ほど想いが蓄積し、エネルギーとなり、未知なる現象を起こすし、幽霊も神様も見える人には見える。

オレは何となく、そう思うのだが…いかがだろうか(笑)。

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