少し前に、都内を中心に電力不足が問題になって、一部で停電の騒ぎが起きた。

原因は地震で火力発電所が停止されていた事らしいのだが、これをキッカケに電力の見直しで、原子力発電所を再開せよだの、太陽光パネルの見直しだのと騒がれたらしい。

オレ個人的には原子力発電所は反対で、正確にいうならば、地震大国である日本には反対・向かないと思う。

海外ならまだしも、色んなプレートが入り混じっている日本特有の地形は、やはり『制御できないモノ』は置かない方が良いと思うし、最近の地震の多さを見ても尚更そう感じる。

電気は貯めておく事ができないし、今の生活にとっては切っても切れない関係、オール電化なんて家に暮らす人も多い。

だが、それと同時に『そこまで必要か?』と思う様な部分もあって、東京の池袋に暮らすオレの近所には、煌々と照らす大きな看板や、巨大モニタなんてそこら中で目にする。

以前東日本の震災の際に、計画停電とやらであちこちの電気が消されたが、バイクで走っていてトンネルの中の照明が消されて真っ暗だった時には衝撃だった。

「(おいおい危ないって!)」だし「(バカか?)」と思ったものだが、生活に支障がない電気と、命に関わる電気がある訳で、単に「節電お願いしまーす」じゃなくて、巨大モニタに使う電気と病院で使う電気は同じでも違うのだ。

病院などは自家発電や非常用バッテリーなども積んでいるのかも知れないが、国がもっと真剣に動いて、電力が供給できなくなってきた際には段階的に落としていくランクなどを決めれば良いのではないだろうか?

極端な話、電車の本数を減らすだけでもかなりの電力は抑えられる様な気がするが、そうすると通勤する人や鉄道会社が困るだろう。

しかし駅の中や電車の中は、ほとんどの広告が電子パネルで、それを一時消す分には困る人は少ない。

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電力自体は少ないのだろうが、都内全ての駅構内なら、馬鹿にならない気がする。

都心部の巨大モニタだって、看板だって優先的に落とせばいいし、以前コロナのレベルをライトアップの照明の色で解る様にしていたが、街中の看板が消されて少なくなっていけば、「(あぁ、電力がヤベーんだな…)」や「(節電しないと…)」と訴える事もできるだろう。

その分街灯は危ないから消さない方が良いし、病院なんて最後まで残すべきだ。

そういう段階を経て節電をしていく、訴えていくシステムを作る事が大切なのではと思う。

オレのハーレーのヘッドライトは、従来のバルブからLEDに変えて、60%も電力が減るのでバッテリーの負担が抑えられる。

文明の進化で電力を抑える技術は進むだろうし、最低限暮らせる電力は維持できる様にも思う。

この前の節電で停電になった地域が実際にあったが、どうも極端で、ゼロかオッケーかじゃなくて、『用途別』に使い分ける仕組みを、ちゃんと作っておくべきだと思うのである。

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