アマゾンプライムだか何だかで、期間を限定して無料の映画などが観られる様になっている。オレはTVがバカバカしくて殆ど観ないので、最近はTVを観るくらいなら映画を観ている時の方が多い

昔観た映画を見返して懐かしい気持ちになったり、まだ観てなかった最近の新しい映画を観たりしているが、昔面白かった映画はやっぱり今観ても面白いし、逆に最近の新しい映画は、本当につまらない映画ばかりに感じた

オレが歳をとった事による、年寄りのヒガミみたいなモノなのかも知れないが、CGが発達して映像技術は格段に進歩したはずなのに、映画そのものの内容が薄い(汗)。逆に昔の映画はCGを使ってない時代だからこそ、「(このシーンをCG無しってスゲェな……)」と感心したりする

ブログで何回か説明した事があるが、オレは結構な異常者で、同じ映画や本を延々と繰り返して観る事に抵抗がない(笑)。おそらく、皆さんが想像する以上に本当に何十回・何百回と観れるし、ヨメさんも呆れて諦めるぐらい平気なのだ

そんなオレが何処を観てるか? だが、作品を通して『ヒトの感情が動かされる部分』、フリから始まっているからこその『オチ』で感動し、その結果と効果の大きさを「(なるほどねぇ……)」と分析したりしている

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自分がシナリオを書く脚本家になって、職業柄か余計そういった部分が目に付く様になってきたのだが、観ていて「(ん?)」と思ったり、「(なんで?)」と感じる話のホコロビ、辻褄の合わない矛盾は、物語の世界から覚めてしまうし、下手をすれば「(どうして?)」と気になって、そこから先の話に集中できなくなってしまう。集中できないというと極端だが、2時間の映画があっという間に感じる、「(あ〜面白かった!)」と短いぐらいに感じるという事は、その物語の世界に浸れている(集中できている)事になるのだ

要は「(そんな訳ないだろ!)」というツッコミだらけの作品になるのだが、製作者目線でスッ飛ばせば視聴者はついて来れないし、『共感できない』という事は『感情移入』もできない訳で、作品の面白さは半減してしまう。解り易く言うなら、多くの人が知る『風の谷のナ◯シカ』の『王蟲』を視聴者が「(気持ち悪い…)」と思わない、「(可哀想…)」と感じるのは、ちゃんと主人公ナ◯シカに共感できているからであって、しっかりと物語のもつ世界観に引き込む事ができている脚本と表現力なのである

脚本を書く上で、突っ込まれない・隙のない物語を書く事は非常に重要で、そういった外堀を固めた上で、登場キャラクターの心理を掘り下げて追究し、表現する事で共感を得られるストーリーが完成していく訳だが、『映画』という膨大な製作費をかけているにも関わらず、こういった『穴』というか、矛盾を感じる作品が以外と多い

これは脚本だけに限らず、構成や監督といった別の要素も絡んでくるのだろうが、『文字』だけで表現する『脚本』という仕事も、なかなか奥が深くて難しいのだ

ただ、『会話』も同じで、例えばヒトを笑わそうと思うのならば、なるべく語り手側は平静を装った一定の口調で、最後にとんでもない事を伝えた方が、その『ギャップ』で相手の反応も違って大きく笑う・ウケるし、それが『フリ』と『オチ』。悲しませるなら言葉に詰まりながらポツリポツリと話し、相手に同情してもらう時間を充分に与えながら打ち明ける方が伝わり易い。これも『フリ』と『オチ』だし、文章に起こす脚本も、メカニズムとしては同じなのである

莫大な製作費をかけて作ったはずの映画が『面白くない』と感じる理由は、隙だらけの脚本、それをフォローできていない構成・監督の手腕の無さが物語っているのだ

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