2つ目の相談は『趣味がない事』。オレのブログはバイク乗りの読者が多いのだが、実はバイクに乗っていない人も結構多くて、そこまでハマる『好きなモノ』を見つける事は、世の中では意外と難しいらしい

オレの仲間たちでも残念ながらバイクから降りてしまって乗っていない人間も何人かいるし、それは強制ではないから仕方のない事だ

オレたちみたいに何十年も乗り続けているヤツもいれば、何らかの事情で一度は降りたものの、再びバイクを手に入れたリターンライダーなんて言葉もあるので、いつかまた戻ってきたりするのかも知れない

一度はバイクを降りて離れた人が、他のジャンルの趣味をひととおり試してみて「(やっぱりバイクが一番だ!)」と思って戻ってきたのかはオレには解らないが、『コレだ!』というジャンルが見つかっていたなら戻ってこない気がするし、世の中ではその『コレだ!』が見つからない人が多いという事になる

オレ自身にしてもイキナリのストレートでバイクに辿り着いたわけではないし、中学の時にパチンコを覚えて高校生でパチスロにハマり、当時はモーニングなんてサービスもあった時代だったので連日学校にも行かずに友だちと朝からパチンコ屋に通っていた(寮よりも学校の中の方が比較的規則が緩くて、授業をバックレて名前入りのサンダルでパチンコ屋に行って、でも田舎だからパチンコ屋も1件しかなくて、休みの先生がパチンコやってたりして捕まるわけだ:汗)

正月の元旦から行ったりした時には「(もう一生やめられないんじゃないだろうか……)」と思ったぐらいだったが、社会人になってバイクに乗るようになってからは、その熱もウソの様に冷めていった

ギャンブルに関して薄々勘づいてはいた「(いくらなんでもプラスになるワケがない)」という現実だが、加えてトドメを刺すぐらい止めるキッカケになったのは、『勝った』でも『負けた』でもない『チャラ』という終わり方で、朝から晩まで閉店までパチンコ屋で過ごして、その日の結果がトントンのプラスマイナスゼロになると「(オレの今日1日は何をやってたんだろう…)」と本気で考える様になってきたのだ(笑)

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それからは会社で付き合いの延長でみんなでパチンコに行ったりしても、当たってジャンジャン出てるし、まだまだ出ると解っているのに「(早く帰りたい…)」と思うようになり、あの椅子に何時間も座っている事自体が耐えられない苦痛に変わってしまった

あれから何十年もギャンブルというモノは基本やらないままなので、オレにはきっとハマらなかったわけだし、アリだったバイクは今も残って進化を続け、ナシなモノはどんどん消えていった事になる

オレがバイクに乗るキッカケはマンガでも描いた様に、厳しい全寮制の学校にいる時に広大なアメリカの地を荷物を積んで旅しているハーレー乗りの写真を見て、『自由の象徴』のイメージが強く焼きついた事だった

仲間たちとバカをやって毎年遊んでいる中ですっかり忘れたそのキッカケは、「(そういえば)」と気がつく時がきて、「(このままだと後で絶対後悔する!)」と思い立ち、原点に戻る意味もこめて東京から四国一周のひとり旅へと向かう

以前小説化したように、出発の東京から名古屋までずっと雨だったし、素泊まりで飛び込んだ宿にぼったくられたり、大阪で故障して岡崎で助けられたりと、それはもう過酷な旅だった(汗)

ただ、「(独りじゃつまらないかな…)」と持っていったiPodで聞いた音楽にはすごく助けられたし、今その曲を聴いても当時のシーンがフラッシュバックしてきて「(おぉ〜!)」と思ったりする(笑)

今ではヨメさんと夫婦2人旅が基本になったので、この先1人でアテもなく行く事は難しいかも知れないが、尚更「(行って良かったな…)」と思うし、『仲間たちとの楽しみ方』『独りでの楽しみ方』『夫婦2人での楽しみ方』を知ったと思えば、とても贅沢な経験ができた

オレの場合『興味』から入った趣味は続かず、『憧れ』から入った趣味にはどんどんのめり込むようになった気がする

共通する事は『やってみなければ始まらない事』で、キッカケはどうあれ、ハマるか・ハマらないかの結果なんてやってみなければ解らない

ソコに投じる予算が無駄だと言うのなら、オレもそれこそ学生時代にギャンブルでお金を散々捨ててきたし、それでも今は「(おぉ〜♡)」とゾクゾクするぐらい熱中するモノを持っている

人に対しての投資なら無駄もあるのかも知れないが、自分に対してである以上『経験』と『知識』は残るのだから、無駄な事なんて無いのかも知れない

ありきたりな答えになってしまうが、きっと『まずはやってみる事』だと思うのである

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