ある有名なハーレーショップから聞いた話しである

おそらく誰もが知っているような有名芸能人がいて、その人のハーレーをずっと倉庫で預かっているらしい

以前撮影の為にバイクをフェリーに載せて遠い撮影場所まで届け、撮影が終わったらそのまま積んで戻ってきたらしいが、要はその芸能人はハーレーを『持っている』が『乗っていない』という事だ

オレはその芸能人の名前を聞いて「(あぁ、なるほどね)」と逆の意味でピンときたというか、ある意味ピッタリだと思ったのだが、預かってもらっているハーレーをたまに乗る時にショップでピカピカに磨いてもらって得意気に乗ったところで、『普段から乗ってない感』がバレバレで、全然カッコよくないどころかある意味その人のイメージにピッタリだった

「スゴイっすね」「カッコイイっすね」なんて言われたい気持ちは誰にだってあるのでソコは否定しないが、表面だけの「カッコイイ」とは別の「カッコイイ」があって、表面上での賛辞の言葉ほど見た目だけが多く、そういう人ほど「これは売ったらいくらぐらいするんですか?」なんて聞いてくるような気がする(笑)

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真の「カッコイイ」は『バイクの事は詳しくないけど、とにかくカッコイイ』から『オレも自分でやるけどよくぞここまで…』や『この発想はなかった』なんてものまで色んなジャンルが当てはまるが、そう言わせるのは乗ってきたからこその『味』がかもし出すオーラのようなものだ

だから別にどこまでイジってようがノーマルだろうが関係ないし、乗り手が『乗りこなせているか?』が重要で、「持ってるけど年に2〜3回しか乗らない」なんてレベルじゃ、「(そりゃ似合ってないわな)」と納得できる

有名芸能人でもホントに乗っている人もいるし、それはそれで「(あぁ、なるほどね)」と思うのは、総合的な意味で似合っているからなのかも知れない

「カッコイイっすね」と言われるのは普通に嬉しいが、真冬に鼻水を垂らしてガチガチ震えながら乗ったり、ドシャ降りの雨の中を顔に穴が開きそうな傷みに耐えながら走ったり、炎天下の中で足がパンパンになるまでキックを踏み続けたりしてきた歴史なんかは当然知らないわけで、乗り手から染み出た『出汁』がバイクに染み渡って『味』となり、カッコ良さとして伝わっている、中身が有る・無しがちゃんとあるのだ

どんなにピカピカでお金をかけてイジッてようが、似合ってなければカッコ良くなんか無いし、むしろダサイ。少なくてもオレは、他人のバイクのソコを見ている

見せかけだけじゃなく、似合っていたいものである

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