昨日のブログでハーレーとの関わり方について触れ、ひとりでも楽しめる魅力をお伝えしたが、オレにとっての最大の転機となったのは、四国一周のひとり旅だった。

以前小説化してブログでも連載したが、それがキッカケで四国の魅力に気づかされ、翌年からは結婚する前の今のヨメさんを連れて毎年行くようになったので、まさに人生で一度だけの貴重な体験をした事になる。

長く勤めたサラリーマンを辞めた時、1ヶ月ぐらい何もしないで、ハーレーで日本のあちこちをアテもなく回ってみたいなと思ったりもしたが、やはりヨメさんを残して「じゃあ、ちょっと行ってくるわ」なんて選択はとてもできなかったし、ヨメさんが理解してくれたとしても「マジで? じゃあ行こうかな…」とはならないと思う(笑)。

思い起こせば色々フクザツな人生があるもので、中学生で問題ばかり起こしていたオレは全寮制の高校に入れられ、高校でも問題を起こして寮を脱走し、半年ほど音信不通で中学時代のプー太郎の家に転がり込んで、パチプロとして生活していた時期があった。

大した罪悪感もなく半年ぶりぐらいに連絡すると、捜索願が出されている事を知って学校に戻るわけだが、退学にこそならなかったものの、出席していないので成績は体育すら赤点の1だった。

そこで問題になったのが進路で、オレはもともと美大の推薦が4つほどあり、バカなオレでも実技と面接だけで学科試験は免除になるはずだった推薦が、全部パーになってしまったのだ。

ただ、オレ自身が大して行きたかったわけでもなく、絵の評価を買われて進んでいった進路だったので、クチうるさい親に文句ばかり言われるぐらいなら自分で働こうと思い、最初はフリーターとして働きながら、何か自分のやりたい事を見つけるつもりだった。

が、そこに待ったをかけたのが当時付き合ってた5つ歳上の彼女で、「ちゃんと就職しないとダメだ」と言われ、「(そんなもんかね…)」程度の気持ちでサラリーマンになったわけである。

せっかく就職が決まったものの、就職したら彼女にはフラれ「(えぇっ!?)」となるわけだが、バイクと出会い、仲間たちと出会い、その関係だけはずっと続いて今は漫画を描いている(笑)。

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当時オレたちの世代はフリーターなんて珍しくもなく、ブルやビッチはフリーターだったし、「サラリーマンなんて夢がない」と、よくバカにされたものだが、バブルが弾けると状況が一変し、みんな忙しくなって時間を合わせる事が難しくなった。

それでも夏休みのUTCだけは続けてきたが、仲間の結婚や出産や仕事やで、それも維持しずらくなってくると、オレは1人でも沼津に行って知り合いの店で呑んだりするようになり、独りでの楽しみ方を色々と発見し始めていた。

そして「(一度ぐらい、誰も知り合いの居ない、未開拓の地へ行ってみよう)」と思い始め、半年ぐらいかけてバイクの整備から用意からと準備を始め、最初の四国一周を目指すのである。

そこで民宿にボッたくられたり、初めて買った日焼け止めが目に入って身体じゅうの水分が涙で出たり、バイクが壊れて岡崎のテッちゃんに助けてもらったりしたわけだが、悪いできごともひっくるめてとても良い思い出として残っているし、いつかまた行ってみたいと思う。

今、オレとヨメさんの目標はヨメさんも会社を辞める事で、ヨメさんが辞めた時には1ヶ月ぐらいかけてバイクで旅をしたいなと話している。それはオレが辞めた時にはできなかった事で、行く前から「(絶対良い思い出になる)」という事だけは解る(笑)。

冒頭でも触れたように、唯一その1年しかタイミングがなかったオレは、すごく貴重な体験ができたし、まだ迷っている人がいるのだとすれば是非オススメしたいと思う(女の子は反対です)。

帰ってきた時にきっと、「(ハーレーに乗ってて良かったなぁ)」と思うだろう。

せっかく凄いバイクに乗っているのだから、最大限活かしてもらいたい。

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