姪っ子が来年大学受験らしく、連日勉強・勉強で追い込まれているらしい

正直その話を聞いてオレは気の毒だと思ったのだが、『お金』がかかっている以上、親や周囲の期待は避けられないし、仕方のない事だとも思う

『オレの考え』と最初に断わっておくが、『良い大学に入れば良い企業に就職できる』なんて昭和レベルの話で、間違いなく今はもうそんな時代ではない

事実、ヨメさんは大卒だが就職でとても苦労したと言うし、オレは高卒だが1社しか受けなかったものの、大した試験もなくすんなり入れた。オレがバブルだった時だからで、ヨメさんはバブルが終わった時だったから、どちらも平成の話だ。そして令和となった今がどうかなんて、言うまでもない

ヨメさんと呑んで話をしていたのだが、『霞ヶ関』という駅には、大蔵省や東京裁判所、弁護士会館なんかがある

『大手町』という駅は、有名な大手企業の本社が並ぶ、典型的なオフィス街だ

『日暮里』という駅は生地問屋が多く並ぶ、いわゆる職人の街である。『新宿駅』は言うまでもない繁華街で、大学受験なんて『どの駅で降りるか?』みたいなものだと思う

霞ヶ関駅で降りた人は官僚や役人になって、みんながみんな幸せなのか?だし、日暮里で降りて職人になった人は全員不幸なのか?で、要は『駅で降りてからナニをするか』なのだ

だから、たとえ第一志望の学校に落ちたとしても、他の駅に行けばいいし、それだけの事。肝心なのは駅を出てからで、受験に対するプレッシャーを過度に感じる事は間違いだし、精神的に追い込まれる必要なんてない

そして実体験から感じる事は、人生において必要なのは『学力』ではなく、タフに生きていく『生きるチカラ』である。これは辛い部活動の練習だったり、過酷な仕事から得る経験値みたいなもので、孤独にひたすら勉強を続ける受験勉強も当てはまるとは思うが、学力とは違うのだ

『勉強なんてしなくていい』と言うのは無責任に聞こえるが、『勉強さえしておけば間違いない』なんて言うのも同じくらい無責任だと思う。それが叶わない時代だとしたら、誰が責任を取るのか?それは無情にも本人しかないし、だから今あちこちで悲惨な事件が起きているとも思う

本人自身が何より勉強して学びたいのならもちろんそれを否定しないが、身の回りに同じような受験生がいる人は、そんなオレのような考えが一つの参考になれば良いと思うし、みんなが「頑張れ」と追い込む中で「文化祭程度の『行事』のひとつでしかないのだから、気楽にいけよ♡」と言う人が、ひとりぐらいいても良いと思う

事実、高卒で脱サラしても素晴らしい景色を観てきてハッピーに生きているオッさんが居るのだから

オレはずっと勉強が嫌いだったが、今も嫌いだ。そして「やっぱり勉強しなくて良かった♡」と思っている(笑)

勉強より大切な事は、他にいっぱいある

それを教えてあげるのもまた、大人の役目なのではないだろうか……