『人の温かみに触れる事』は嬉しいが、深くもある

高知で待ち合わせて前半ずっと一緒に呑んでいた安◯さんは、ブッ飛んでいるのでとにかくワガママだ(笑)

去年の夏に呑んだ同級生のオミさんというお婆ちゃんと「絶交した!」なんて言うから理由を聞くと、「オレが『呑みに行こう』って誘ってんのに断りやがった」なんて言うし、そうかと思えば今年の夏には一緒に来たので「仲直りできて良かったじゃん」と言うと「あんなババアとずっと呑んでてもつまらないから後で帰す」なんて言う

そんないい加減な人なのにかれこれ3〜4年オレは付き合ってるし、よく電話もくるし、オレが会社を辞めた時は、仕事先を世話しようともしてくれた

バイクに乗っているわけでもないし長男と同じ歳のオレを、友だちのように接してくれる事は不思議でならないし、オレもよくあんなワガママな人と付き合えるとも思う(笑)

バイクと言えば上○さんは香川県なのにオレたちが高知に行く度に2時間ぐらいかけて高知に来て1泊してまで付き合ってくれるし、いつも「じゃあシゲ、オレは帰るぞ!」と翌日に帰っていくが、長く行っている高知でバイク乗りとしてつながりがあるのはこの上○さんぐらいだ

今回高知に行った時に毎年会っているスギやんという80歳近い元・漁師のお爺ちゃんに会えなかった。周りの人に「スギやんを見ないけど生きてんの?」なんて聞くと、数ヶ月前に仲の良い板前さんに怒られて出入り禁止になったと言う

オレたちはどっちも仲が良いので事情を聞くと、『タカリ』と言う他のお客さんに対しての「一杯おごって」が酷くなって、地元で生活保護を受けている客にまでタカるようになったので怒って出入り禁止にしたらしい

温厚な板前さんが怒った事にもビックリだったが、決して地元の人全員が仲が良いわけではなくて、逆に合わない者同士が一緒になろうものなら、一言も口を聞かないぐらい、頑固な人が多かったりもする(汗)

オレとしては「(みんな仲良くしなさいよ…)」と苦笑いなのだが、高知県特有(?)の、朝っぱらから呑んでる姿と同じくらい『この人好き、この人は嫌い』という人間臭さも、面倒くさいながらも実は結構気に入っている

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平日の朝から地元の人も県外の人も外国人もがごっちゃになって呑んで盛り上がる高知県の姿は、「(人間の本来の幸せな姿なのかもな…)」とすら思うし、ある種の『ユートピア』とでも言おうか、こういった環境がある事を羨ましく思う

ただ、そのウラにはギスギスした人間関係も当然あって、それも含めて人間の本来の姿、人間ってそういうものなのかも知れないなとも思う

そして地元の人たちはきっと誰1人そんな面倒くさい事は考えてなくて、ホントに子供のように『朝から呑めて最高!』『でもアイツは嫌い!』なのだ(苦笑)

その飾りっ気のなさと正直さがまた人間臭さでもあり、オレは「(まったくしょうがねぇなぁ…)」と思うし、そんな人たちがオレたちが来るなら何とか一緒に呑みたいと予定を合わせて集まってくれる事が素直に嬉しい

高知市街の何気ない1枚なのだが、ビルの看板は殆んど真っ白で、空室ばかりである

オレたちが行く度に通るアーケードの商店街すらテナント募集が貼られ、シャッターが降りている店も多い

オレたちが集まる『ひろめ市場』だけは、お店がギッシリで店員さんも多く賑わっているが、それはそれだけ需要があるからで、それを供給する為に雇用が確立されており、だから日本だけに限らず年間を通して多くの人が訪れるわけだし、この流れで『回っていて』、循環できるシステムが確立している成功例なわけだ

しかし、少し外れればこういった風景を見る事も珍しくないわけで、綺麗に整備されて賑わっていても衰退している現実もある

高齢化社会が進むこれからの時代で、理想的なコミュニティとも言えるこのスポットは、何か重要なヒントを持っているようにも思う。またその反面、観光でこれだけ人が訪れるのに街としては衰退していく原因もきっと何かあるのだ

『好き・嫌いがハッキリした人たち』『賑わうスポット』『衰退化する街』これらの先に『人間が求めるもの』があるようにも思えて、考えさせられるのだった

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