オレが怖いと思ったのは、例えば歳をとった時にヨメさんがボケて、ヨメさんの介護はAIが全部やってくれて、オレは出会った頃の若いヨメさんとかとバーチャルの世界で会えていて、それが満足に思ってしまいそうなのが怖いと思った(笑)

遊んで暮らせるって魅力的だけど、そうなったら例えば四国一周とかももう行かないんだろうと思う

『行った』気になれる充分過ぎる環境が整ってしまえば、リスクが生じる行動は選びづらくなっていくのだろうと思う

昔バイクになんか全く興味のなかったヨメさんが「晴れがこんなに嬉しいとは思わなかった」と言っていたのだが、その裏には道中でゲリラ豪雨に遭ったり、カッパが間に合わなくてズブ濡れのまま走り続けたりといった体験があってこそで、だからこそ味わえる感動や、無事到着したときの安心感や美味しいビールなんかは不条理な障害があってこそなのだ

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バーチャルで全てが完璧な晴天の中、ハーレー特有の重低音のサウンドで、座っている椅子がリアルに振動してドコドコ感をも味わえるツーリング……それでは決して味わえない感情は死んでしまう様にも思う

今の子供はパソコンのキーボードすらうまく使えないと聞く

キーボードを飛び越えてタッチパネルから入ってしまったのでその存在をうまく扱えないのだ

デジタル腕時計から進化を見てきた自分には考えられない事だが、知らない子たちが可哀想でもあるし、自分の心配だってした方がいいくらい相当ヤバイ気がする

それはいくら思っていても結局甘んじて受け入れてしまいそうな『便利さ』で、その果てに何を失ってしまうかの恐怖なのかも知れない

いえる事は、本当に世界中が裕福になれば戦争も無くなるのでは?とも思う

収入源として『軍事費』を重要視している国と、それを必要としている国、でもどの国も裕福になれば、戦争は無くなるのだろうか……

せめてそこだけは、そうなって欲しいものである

(おわり)

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