家の近所に新しいラーメン屋ができた時、すごく美味しいのにできたばかりでお店はガラガラだった

美味しかったので頻繁に足を運んでると、煮卵が2つに増えたり、チャーシューが1枚多くなったりするようになった

これはあえてサービスしてくれているんだと気がついた時、他にもお客さんがいたので迷惑になるかと思い、紙ナプキンにお礼を書いて帰った

それから他にお客さんが居ないと、マスターが話しかけてくるようになり、客足がイマイチ伸びなくて悩んでると言っていた

ラーメン自体はホントに美味しいので、自分が思い浮かぶ限りのアドバイスをした(例えば、ライスとして出る白飯を炊く水の量が多い。スープが濃厚な味噌で、チャーシューなんかもかなりボリュームがあるジューシーな肉なので、水は少なめで炊いた固めの米の方が合うと思うとか、トイレをもっと奇麗にしろとか、看板の電球が切れてるから夜だと開いてるのか解らないとか、そんな感じだったと思う)

それからはマスターが行く度にメニューには無い色んな料理を出してくれるようになった

一時はラーメンが食べたいから来てるのに、ラーメンが食べられなくなるぐらいの料理を出すのでこっちから止めてくれと断ったぐらいだ(笑)

それから10年近くが過ぎて、すっかり人気店になったその店は、違う従業員が何人かで回している

マスターは成功して2号店の方に行っているか、違う事業をしているかでお店に行っても会えない事が多くなった

それでもたまに会うと、他のお客さんが居ても喜んで話しかけにくるのは、きっとあの頃生まれた『縁』がまだ続いているからだと思う

今度また高知に行く事を向こうで仲良くなった何人かに連絡したら、3人が予定を合わせて待っていると返事が返ってきたが、3人ともオバちゃんだ(笑)

もちろんハーレーというかバイク自体と何の接点も無い人達なのだが、ありがたい事だし、これも『縁』で、また持ち込み禁止のひろめ市場で漬物とかを持ってきて食わしてくれると思う

香川の上○さんに「高知に行くけどこの日はオバちゃん達と呑むから無理だ」と言ったら「じゃあ前日に高知のホテルを予約したから呑もう」と言ってくれた

わざわざ香川県から泊まりで来て、何もそこまでしなくてもと思うし、ただただありがたいと思う

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でもキッカケなんてホント些細な事で、これも『縁』なのだ

そういえば去年の夏に亡くなった高知のスミちゃんは、元ホステスのママで、当時着ていた超高価な着物を何着もヨメにくれたっけ

もう何回も「東京から来てる」って言ってるはずなのに「里芋持って帰るか?」なんて言われて「いらねーよ!」って突っ込んだな

昨日から人の優しさと縁についてちょっと触れてみたのだが、その小さいキッカケは「美味しいです」の一言かも知れないと思ったのだ

意識してきた訳じゃないし、美味しくないのに美味しいなんてもちろん言わない

でも、オレは美味しかった時や嬉しかった時、その時の感謝の気持ちはストレートに相手に対して伝えてきたのかも知れないと思った

それがキッカケで今まで色んな『縁』に恵まれてきたのなら、これからはちゃんと意識してより伝えるようにしようと思う

子供の頃に教えられる「ありがとう」と「ごめんなさい」は、歳をとるほど使いづらくなる言葉なのかも知れない

でもやっぱり大切な事で、歳を取るほど重要なのだと思う

どんな歳になっても「どうもありがとう」って言おうと思ったし、必要な時は「どうもすいませんでした」よりも「ごめんなさい」に挑戦しようと思った

それを気づかされたキッカケは、昨日のブログで紹介した先週行ったお店のサービスだった

 

サービスしてくれたケーキに気がつかなかったのでお礼を言わなかった事を、とても申し訳なく思った

ヨメに「悪い事をしたな。お礼を言うべきだった」というと「でもアンタは会計の時に店員に『ここのケーキは凄く美味しい。ステーキも美味しいけどケーキも推すべきだ。下手なケーキ屋よりも全然レベルが高いです』と馬鹿デカイ声で喋ってて、後ろのテーブルにいたオバちゃん達が聞いてたから、きっと注文するよ」と言われた

「あぁ、そうだったんだ」と思ったし、それならまだよかったな

これからはもっとちゃんと考えよう、意識してしっかり伝えようと思う

それぐらい『縁』は無償の好意から生まれている事が多く、それに応えることは大切な事だからだ

『縁』はずっとこれからも、大事にしたい

 

 

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