さて会社を辞めて、この歳になってプー太郎になってしまったワケですが、これからそんな結末に至るまでの経緯と決意をチョイチョイ触れていこうかなと思いまして、まさに『ワイルドマン=社会不適合者』を地で行く事になってしまった話を不定期で入れていきたいと思います

 

高校を出て今の会社にすぐ入社し、25年間働いてきましたが、ヨメさんなんかは「25年間お疲れさま」とねぎらってくれて、「そんな期間働いていた会社を辞めるってどんな気持ちになるんだろう……」と他人事の様に興味津々でしたが、最後の日の会社帰り、何度か振り返って眺めてみても、涙が出るなんて事はもちろんなかったし、シミジミという様な特別な感情は全く起きませんでした

名前を出せば誰もが知っている様な大手の会社で、今なら絶対入れない会社だと思います

それなりに頑張ってきましたが、会社に裏切られた所も大きく、若かった頃に比べてそういった感情は死んだといった方が正しいのだと思います

逆に去年の夏頃から「こんな会社絶対辞めよう」と誓ったものの、突然すぎた為に思いとどまってじっくり準備し、今日までの1年ちょっとの間をよく頑張ってきたと思います

 

もともと高校卒業時、時代はバブル絶世期の時代で、小学校・中学校・高校と美術で負けた事がなかったオレは(今思えば社会が狭かっただけなんだろうなぁ)、当然卒業後も『絵』に関係する所で生きていくのだと思っていました

成績も美術や体育だけはずっと『5』だったので、他の勉強はともかく面接と推薦だけで進学できる大学が3つか4つあったと思います

ただ高校2年の終わりから3年のはじめにかけて家出をしまして(もともと全寮制の高校でしたが寮も出て)、中学時代のプー仲間の家に転がり込んで半年ぐらいパチプロみたいな生活をしていました

結果捜索願とか出されて結構な騒ぎになってしまった為に戻る事になるのですが、半年もの間学校を休んでいたので美術や体育すら赤点の『1』になり、推薦がなくなったのでございます

バブル絶世期の時代でその時はフリーターが流行していて、オレも「何とでもなるだろう」と思っていたものの、当時付き合っていた5歳年上の女性が「ちゃんと働かなくちゃダメだよ」と言ってくれ、「はぁ、そういうもんかね」と思い学校の会社見学で1社だけ見に行ったのが今の会社だったのです

これは今もですがスーツが大嫌いなオレは、毎日スーツを着る仕事だけは絶対イヤだと思っていて、その会社に決めた理由もスーツじゃなかったからという単純な理由だけでした

バブルでどこの会社も人手不足だった時代なので大した試験なんかなく、すんなり入社できたオレは、そこからサラリーマン人生がスタートした訳です

 

今みたいに過労死なんかで騒がれる時代でもなかったので、残業時間が200時間近い事なんかザラで、残業代が基本給を上回る事の方が多いくらい、過酷な日が続いた時代でもあり、会社に寝袋が置いておいて、一番酷くて記憶に残っているのは1週間で木曜日だけ終電で何とか帰れて、後はずっと泊まり込み、朝にタイムカードの裏(退社)と表(出社)を同時に押すなんて時代でした

作品に登場するビッチやブルはずっとフリーターで、雨が多い梅雨の時期になると雨期が無い北海道へ北上して生活をし、にんじん畑なんかで働きながら生活をしていて、同じバイク乗りとしてとても羨ましかったのを覚えています

今でもビッチやブルと呑むと「当時のお前は一緒に呑んでていても会社のグチとか言うからつまらなかった」と言うのも、当時余りに違うお互いの環境が大きかったのでしょう

「サラリーマンなんて一生稼げる金額が今解る仕事なんて何が楽しいんだ」と言われるぐらい、バブルという時代は殆どの人が『可能性』の方を求めていた時代だったのです

 

ただ過酷ではあったものの、堅実な会社勤めのせいもあってハーレーを手に入れる事もできたし、まだ「どうせ仕事するなら少しでも『楽しく』働こう」というポジティブな発想があって、それは若さという年齢と、まだ自分の会社に期待していた所も大きかったのだと思います

(つづく)